本性寺について

本性寺縁起

平等山本性寺の宗旨は日蓮宗。
下総国小金宿平賀(千葉県松戸市)本土寺の末寺で、設立の縁起は家康の江戸入府に従ってきた三河の郷土三田佐兵尉守綱(妙傳院殿蓮向日香大居士)が、麹町9丁目あたりに営んでいた隠居所を、寛永18年(1641)観智院日泳上人に譲渡し三田氏の没後、寛文10年(1670)その菩提を弔うため本性寺が設立されました。その後、寛文10年(1670)に寺地改めがあり、所願を奉って寺地として拝領し、平等山本性寺と改号しました。しかし、本堂庫裡の造営は成らずして、日泳上人は延宝5年10月7日に遷化してしまいます。その為、開山は日泳上人ですが、本堂庫裡が出来たのは2代目の円智院日成上人の代からとなります。
また、本性寺は戦前、四谷の毘沙門さまとして賑わいをみせており、本堂・山門・毘沙門堂と戦災で焼け残った大変貴重な建造物です。本尊勧請様式は一塔両尊四士であり、祖像は説法像です。このほか持国・広目・毘沙門・増長天王の四天王像、不動明王、愛染明王、文殊、普賢菩薩、鬼子母尊神、七面大明神、大黒天神、厨子入の毘沙門天木像を安置しています。
新宿区登録史跡・指定文化財に認定されている萩原宗固のお墓がございます。

寺院風景